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「患者様からの声」スピリチュアル・ヒーリングの効果

ヒーリングを受けた人達の体験談を出来るだけ原文に近いまま紹介します。 (医療関係者や政治家の方がいらつしゃいますので一部分削除修正しています。) 完治、改善した場合と効果がなかつた場合に分けています。

≪完治・改善の場合≫

<S氏>
人生はなかなか思うようにいかない事があり、毎日頑張っているつもりですが、それでもどうにも頑張りきれない気になると小松先生の所に伺いたくなる私です。 昨年四月に伺ったときには別の件だったのですが、80才になる父の呼吸系、肺、心臓に気をつけるよう先生からご指摘いただきました。早速病院へ行き検査を受けるうちに胃の噴門部に小さなガンが見つかりました。幸い発見が非常に早かったので、お医者様から「こんな形で見つかるとは信じられないくらいラッキーです。」と云われ内視鏡手術で摘出し、入院後一週間で退院できました。術後にお医者様からは「明らかに進行性のガンで、もし一年発見が遅れれば、確実に全身麻酔の上、開腹手術になったと思いますが、ご本人の肺機能が低下しているし、年齢のことも考えると手術は無理だったでしょう。」と言われ、今更ながら先生のお力に驚き感謝いたしました。 また、たった一人の弟とある事でわだかまりができ、数年間疎遠になっていたのを、先生に「一日も早く弟さんと会いなさい。」と云われ父の手術を機に弟と連絡を取り和解し、今では弟家族とも元のように親しく行き来が出来るようになりました。 年老いた両親の喜びは云うまでもありません。 父も毎日一時間の散歩を欠かさず手術前と同様に好きなお酒を楽しみ、すっかり元気になりました。 この他数え切れないほど、家族中で先生に助けていただき、お世話になっています。先生とお会いできたことを感謝し、このご縁をいつまでも大切にしていきたいと思っています。

<H.Kさん>
下腹に慢性的な痛みがあった。病院で検査を受けた。「左卵巣のう腫」の診断。医師を信頼して手術を決めた。だが、困った事がひとつある。痛むのは右の下腹だった。そこで小松先生にみてもらった。体をじっと見つめた先生は、私が言うより早く「右側に何かあるよね。」と。CTやMRIに写らないものが、先生の目には見えるらしい。 ヒーリングを受けた。先生がかざす手の下で、お腹は、すっと冷たくなり、次第に温かくなっていった。時には、痛む患部がスポットライトに照らされた様に熱く感じたりもした。 3回のヒーリングを受けた後、痛みは影をひそめ、ひきつれる様な違和感の為に、床にすわれなかった足が、元通りに治っていた。 ピンチ!!そう感じた時、小松先生の治療院のドアをたたく。体調の悪い時、頑張らなくちゃと、どうあがいても、パワーが出ない時、真暗なトンネルに迷い込んだ様な気になった時。その時々の状況により、ヒーリングやアドバイスを受ける。 “ピンチ”の私を“何とかしよう”と真剣に向き合ってくれる先生と、言葉を交わしているうち、必ず何らかの光を見い出す事が出来る。暗い道にポワっと明かりを照らしてもらった様な感じだ。 だからといって「悩みのタネ」が消え去るわけではない。 ただ、また新たな気持ちで歩き出す気力が、先生によって引き出されるのだ。治療院のドアを出る時はいつも元気満タンになっている私である。

<主婦>
私は癌の改善のために小松先生にお世話になりました。おかげさまで、先生にお願いしてから5ヵ月後の現在、転移した部分を含めた癌は消失し、経過観察になっております。 小松先生に伺うまでに、私は3回の化学療法を終えても全く改善が見られず、化学療法が効かない可能性が濃厚となっていました。私は先生にお会いする前にも、告知された日から、ネットや新聞などで癌に効くというあらゆる可能性を探し出し、健康食品、気功、ヒーリングなどを試していました。そのあげく、化学療法が全く効かないというのだから本当に困っていました。 それでも私は、新たにウェブで知った小松先生のところに伺いました。別のヒーラー達のところで痛い目に遭いながらそれでも小松先生を頼った理由は、先生がリーディングもする、とHPに書いていたからです。最初にリーディングをしてもらって、それで誰にでも当てはまるようなことしか言わなかったり、威圧的なことを言われたり、また、はずれたりしたら、もうそれで帰ってこられるから、まずは行ってみようと思いました。 結果、先生は私の姿を簡単に見回しただけで、非常に具体的で非一般的な過去の事実を2つ、言い当てました。私は驚いてすぐにヒーリングもお願いしました。10分ほどのヒーリングの間、背中に当てられた先生の手が電気を帯びたようにビリビリと感じられた新鮮な感覚は今も忘れられません。 3回ほど先生からヒーリングをしていただいた後、4回目の化学療法を受けました。そしてその投薬の数日後に受けたCT検査で、本当に劇的に、癌が縮小状態になっていることがわかりました。生きられるんだ、と、嬉しくて涙が止まらなかったことを思い出します。以降は順調に、急速に、癌が消失しました。 化学療法を併用したことは確かですが、自分の正直な感覚として、だいぶ小松先生の力に助けていただいたように感じます。癌は再発がこわいので、今は再発防止のために定期的に小松先生のところにお願いしています。そのあいだも、喉にできたポリープのことを先生にグチってお願いしたらその日のうちに消えていたり、一週間ほど苦しんだ心臓付近の激痛が、ヒーリングしてもらって部屋を出る頃には消えていたりと、小さなことは沢山ありました。 小松先生は、他のところで会ったヒーラーと全く違うタイプの先生でした。教祖的、超能力者的な自己演出をすることもなく、また、死をちらつかせて患者につけこむようなことも全くありませんでした。現代医学にたいしても、普通の見識をお持ちで、批判することも全くないです。他のヒーラーのところでは「信じる気持ちが足りないからヒーリングが効かない」などと言われたことがありましたが、小松先生からそんなことを言われたことは一度もありません。結果を出してもらえるから、先生の力のことは自然に信じたのです。 先生はいつも、ただ患部に手を当てて、「あなたは来年の夏には海にでも遊びに行って真っ黒になっていますよ」などと笑ってお話しするだけでした。 年を越せるだろうかと絶望していた頃もありましたが、先生のそうした言葉が現実にできるまでにしていただき心から感謝しています。
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<S銀行静岡支店長>
この10年間、慢性的な腰痛に悩まされ、カイロ、整体、気功と手当たり次第試しましたが、どれもあまり効果があがりませんでした。おりしもヨーロッパ出張の前日に友人と家族で食事をした折、腰痛が悪化し身動きが出来なくなるという最悪の状態になり、進退きわまってしまいました。其の時友人から紹介されたのが小松ヒーリングでした。 最初はヒーリングと聞き、物凄く胡散臭く思いましたがなにしろ痛いので、藁にも縋る思いでヒ―リング受けてみました。するとどうでしょう、30分もすると痛みがほとんど消え歩ける様になりました。今までは一度痛くなると最低でも1週間は地獄の思いでしたが、まさに狐につままれた思いでした。しかも行きの飛行機の中でさらに劇的に回復し全く痛みがなくなりました。其れ以来腰痛はぶり返していません、単にギミックだと思っていたヒーリングがこれほど効くとは本当に驚きました。
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<主婦40歳>
3年ほど前に首が突然痛くなり、左を向けなくなりました。病院の整形外科、カイロ、整体、針灸、気功整体、レイキ、信仰治療、霊能者の浄霊など受けましたが全然よくならずかえって苦しくなる事もありました。マイナスイオン水やテーピングなども試しましたが一時的によくなるだけで、3日で元にもどってしまい精神的にも追い詰められノイローゼになりかかつていました。 ある日主人がインターネットでヒーリングを受け病気が治った人の体験談を読み私に勧めくれました。残念な事に体験談には「K氏」としか書いてなく、色々探しましたが何処の何方か判らずあきらめていました。それから暫くして娘が渋谷にすごくあたる占いをする人がいるから今度いこうと友達と話しているのを聞き、娘の持つているパンフレットを見ると「小松整体ヒーリング」と書いてあり、もしかしてと思い問い合わせてみると、ヒーリングもなさるとのことなので御無理を承知で予約を入れていただきました。 治療時間は約10分で小松先生が首に指を当て左腕を持ち上げると、突然首が動くようになりました。3年間の苦しみから一瞬で解放され、なにか悪い夢からさめたような気がします。世の中には不思議な力を持つた人がいるものだなという思いと、インチキな人も本当に多いという思いです。
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<公務員65歳>
1日人間ドックを受けた時肝臓のほぼ中央に癌が見つかりました。直ぐに入院治療を進められましたが、仕事の調整がつかず2週間後に入院する事になり、医師から其れまでに民間療法も試してみるようにとアドバイスされました。 予てから興味のあつた中国気功の治療をうけましたが見事に期待は裏切られました。あまりにも人を馬鹿にした内容で溝に金を捨てたも同然でした。数日後同僚と会食した折りその体験談を話すと「だつたら小松さんのところいつてみたらいいですよ」と薦められました。 幸すぐにお会いする事ができ20分弱のヒーリングを4回、入院までに受けることが出来ました。入院後すぐに精密検査が始まり治療方針の説明が医師の方からありました。翌日担当の医師がもう一度検査をやり直したいというので理由を尋ねると、癌が見つからないとのことでした。自然に治ったのではないですかと聞くと「あったものがなくなる筈がない」とのことで、結局再検査を受けましたがやはり癌はみつかりませんでした。担当の医師は「極まれに自然治癒することもある」とまだ釈然としないようでしたがすぐに退院を許可してくれました。私はヒーリングが効いたと確信しています。
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<歯科医37歳>
父の肺が繊維化し呼吸が出来なくなる病気に罹りました。担当の医師からは「あと1月持つかどうか」といわれました。自分でも驚くほど淡々として受け止めていましたが、あるかたの紹介で小松先生のヒーリングを受ける事にしました。 父はヒーリングを受けると呼吸も楽になり帰りに家族で食事をするほど元気になるのですが、1週間ほどすると又状態が悪くなりヒーリングを受けると持ち直すという事の繰り返しでした。そして小松先生にお会いしてから3ヶ月後に亡くなりました。私は父が寿命の範囲で延命できたものと信じております。
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<歯科医45歳>
子宮筋腫の為下腹部が引き攣れるよに痛み出しました。友人のお医者様からは手術かホルモン療法をうけるように言われましたが、以前同じ症状で手術やホルモン療法をうけた友人たちの話を思いだし決めかねていました。 そんな時たまたま私たち家族と小松さんと食事をする事になっておりましたので、自分の体調のことをお話すると「食事のお礼にヒーリングしてあげましょうか」といわれヒーリングして下さいました。5分ほどで直ぐに痛みが消えびつくりしました。筋腫自体はまだのこっていますが大きくなっている訳でもなく、それ以来痛みは全然ありません。
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<M.Kさん>
2002年7月、仕事が一段落したある日、私は健康診断を受けようと思いいたった。フリーランスで働く私には企業で行うような定期検診を受けるということはないので近所の病院で検診の予約を取った。血液検査・尿検査はいずれもシロ。普通ならここで帰るのだが、「婦人科検診バージン」の私は腹部の超音波エコー検査をプラスするようすすめられた。 お腹にジェルを塗り、球形のものを押し付けると、たちまちモニターは真っ黒になった。検査を担当した技師たちはその画面をみてパニックになっている。「こんなところに臓器はないぞ!」「肝臓?・・いや肝臓はきれいだ」「消化器?・・もし胃や腸ならここまで変形していたら既に死んでますよ」「Aさん、胃が痛いとか変な色の便が出るとかありませんか?」食べ過ぎると食後に胃が痛くなることはあったが、生理はいたって順調だし、お腹の張りは「宿便」だと思っていたので、私の方がびっくり!彼らは、ここにいるメンバーだけでは判断できないので、専門の医師を呼ぶからあらためて来院するよう言われた。帰り際、外で聞き耳を立てていたらしい外来受付のオバちゃんに「アタシが見たとこ、子宮か卵巣だね」とすれ違いざまに言い捨てられたことは、非常にヤーな感じを残した。もちろんその病院には二度と行かなかった。 病院を出た所で、かねてから筋腫持ちを自称している友人に電話したら、今かかっているクリニックを紹介してくれるという。さっそくその場で電話を入れ、小田急線沿線にある某クリニックに向かった。そこは小児科と産婦人科が一緒になった病院で、窓が大きく、しゃれたインテリアが明るい印象だった。しかし診察室に入ると印象は一変。内診とエコーを終えた後医師はジョーク交じりに「おめでとうございます。八ヶ月です」と笑った。「最後にセックスしたのって二年前?その時に妊娠して出てこなかったのかねえ・・いやあ冗談、冗談。立派な子宮筋腫です。当院始まって以来だよ、こんなに大きいの。田舎ではたまにあるけど、今どき、それも都会でこんな人は珍しいよ。これだけ大きいと子宮は残せないかもしれないねえ・・残せないんじゃないかなあ。とにかく、すぐ切りましょう。今から入院手続きしますから。ベッド空いているか今から確認しますね」医師はどこかに電話をかけようとする。「ちょっと待ってください!そんな重要なこと、私一人ですぐには決められませんし、帰って家族に話さないと・・。それに入院に必要なものも買わないとならないし。とにかく明日もう一度来ますから、その時に」と答え、そそくさと診察室を出た。 帰宅後、母に報告したら、ただ黙って聞いていた。翌朝母は「とりあえず別の病院に行ってみたらどうかしら。内科だけどF先生に聞いてみましょうよ」F先生とは、私が赤ちゃんの頃からお世話になっている地元の医院だ。中学まではたまに通っていたが、高校以来私はケガも病気もしたことない。風邪も売薬で治した。だからF先生に会うのは20年ぶりになる。病院まで懐かしい道をたどりながらなぜか泣きそうになる。 F先生は私のお腹に触ると「これは卵巣膿腫と子宮筋腫じゃないかねえ。ここまで大きいと悪性という可能性は少ない。『ダダッコ』みたいなもんで悪さをしないし『すぐに切れ』っていう医者はおかしいよ。紹介状あげるから、MRIとかCTを撮ってみたら?」F先生はJ医大病院への紹介状を書いてくれた。その足でJ医大病院の緊急外来に行き、内診を受ける。なんと、F先生と同じ診断!悪性の可能性もあるのでスプレキュアで小さくなるか観察しつつ、手術を、ということになった。できている場所が良いので、子宮は「残せるんじゃないかな?」とのことだった。手術は4ヵ月先。薬でできるだけ小さくして準備することになった。スプレキュアとは鼻から吸引する形のホルモン剤だ。宇多田ヒカルや石田ひかり、多分 hitomi も使っている。更年期障害に似た副作用があると言われたが、これで小さくなるんだ!と思えばうれしくてたまらない。先生は「いいと思ったことをやれ、悪いと思ったことはするな」と手術までの心がまえを語った。例えば、イイコト「毎日いわしを食べる」、ワルイコト「タバコを吸う」。あわよくば手術延期になりますように・・かくして、私の「イイコト」探しの旅が始まった。その主なフィールドはインターネットだ。 ある日見つけたサイトに掲載されていた文章。「半年ぶりに内診の検査をすると・・ナント驚いたことに、筋腫が移動していると言う。子宮の一番奥の取れない場所にあったものが、下に下がって来ているから、これなら取れると。そ、そんなことが本当にあるの??先生が、半年前に撮った写真と比べて説明してくれた。こういうのを「筋腫分娩」と言うのだと。(子宮内壁から紐状の茎が伸びていて、その先に筋腫がある。)・・中略・・この3年間いろんなものを試したから、何かの効果があったか、それとも関係ないのか、分からない。ともかく筋腫は外に出ようとしていた」 この人が気功に通っていたことから、私も気功に通ってみようかと思った。しかしどこに通ってよいものやら・・「日本の気功家たち」というサイトから一つ一つ丁寧に彼らのプロファイルや主張を読んだ。その中で、なぜか「ひっかかって」きたのが小松先生のページだった。まずはメールでご挨拶、電話でアポを取り渋谷の治療院に向かった。 小松先生が腹部に手を当てると、引っ張られたように感じ、それから筋腫くんたちがボコボコ踊るようだ。10分ほどそんな状態が続き、セラピーは終わった。支払いを済ませ、道玄坂を下り、先生に勧められた「ブリーズライト」を買おうと薬局に入った瞬間、今まで出合ったことのない激痛が私を襲った。腰が感電したようになり、足が全く前に進まないのだ。店から道にどうにか移動し、携帯で先生に連絡すると、それは好転反応とのこと。3日でおさまるという。半分ほっとしたものの、しかしどうにもならない私の足。コンパスのように変な移動をしながらどうにかバスに乗って帰った。家に帰っても座ることすらできない。寝る時はもっと大変。テコンドーの試合か?と勘違いされそうな声を発し、そのまま回転しながらベッドに入るのだ。起きる時はもっとキツい。腕の力で起き上がるのだが、マットレスが柔らかいため体を支えられない。そんな状態は3日間続いたが、4日目にはウソのように治っていた。手ごたえを感じた私はそれからしばらく先生の所に通うことにした。後でわかったことであるが、この時の腰痛は術後の痛みよりも激しかった。 通いだして一ヶ月ほどたった頃、たわむれに腹部に紙をあて、その上をなぞってみた。魚拓ならぬ「腹拓」をとろうと思ったのである。ヒーリングに効果があるのなら縮んでいくに違いない。 さらに一ヶ月がたち、セッション10回目を数えたあたり・・ホルモン剤は皮下注射のリューブリンに変えた。そのせいもあるのかもしれないが・・おそるおそる腹拓をとると、なんと、縮んでいるのだ。何しろ4キロとも2.6キロとも言われた「巨大筋腫」だ。どこまで縮むか見てみよう。 リューブリンの副作用は、そう聞かされてなければ気がつかないものだった。日に数回、突然、かーっと暑くなり、それからスーッと冷える。大事なプレゼン中、相手先の社名のスペルミスを発見した時の感じだ。今だから笑えるが、当時私は狭い会議室の中で長い会議に出席していた。その部屋は空調がきかず、とても暑い。私の隣には一台の扇風機。しかし暑いと思っているのは私一人だと思ったのでひたすら耐えていた。会議が終わった後、ドアを出たらみなが口々に「さっきの部屋は暑かったねー」と話していたため、副作用ではなかったのだ。「扇風機を回してよいですか?」と聞けばよかった・・」と反省した。 その頃私は「子宮全摘は絶対に行わない」がポリシーのクリニックに転院していた。手術は来年の年明け。J医大病院を出たわけは、手術の日程が1番の理由。私のようなフリーランス企画屋にとって、11月は「かきいれ時」。もう一つは、プチ不信感かな?説明はほとんどなく、「開けてみないとわからない」なんて怖すぎる!全身麻酔から目覚めて「・・努力したのですが・・」なんて頭下げられても困るからだ。そのクリニックはレーザーを用いて手術を行う病院で、再発しにくい、回復が早い(実際、私は手術の20時間後には歩き回っていた!)、退院が早い(なんと6日間)のが魅力だった。治療費はJ医科大学の4倍だが子宮が残るなら高くはない。私の子宮本体は正常なのだ。取ってしまうのはもったいない。また、トイレ付きの個室のありがたさは手術を経験した人にしかわからないだろう。それに感触がわかる腰椎麻酔で手術中の様子がはっきりわかるのも安心なのだ。(とはいえ私はすっかり寝ていた)  約20回のセッションの後、三回目の腹拓をとった。さらに若干縮んだようだが、その速度は落ちている。そこで私はヒーリングを終了することにした。  オペ前検査を受けた後、入院。いよいよ2003年1月6日15時30分、手術が始まった。最初はラテン音楽が聴こえていたが、気づくと眠り込んでいた。「終わりましたよ」と言われ部屋に戻されたが、頭はまだボーッとしたままだった。下半身の麻酔が切れると導尿のチューブがどうにもうっとおしい。腹の傷よりそっちが気持ち悪くて一睡もできなかった。朝、看護婦さんがやってきて血圧と体温をはかる。去り際「今日は歩いてもらいますからベッドに起き上がっていてください。でないと貧血起こしますよ」と言っていった。・・なこと言っても・・頭がグルグルする。臨死体験の話じゃないが、意識が二つあって、自分の体を少し上から眺めてる感じだ。点滴を変えに来た看護婦さんに「麻酔はとっくに切れてますよ。眠れなかったからでしょう。でも今眠ると夜眠れないので、がんばって起きていてくださいね」と言われた。 摘出物が部屋に運ばれてきた。重さは1650g。サイズは長さ25センチ、幅15センチ。確かに「巨大」だ。だが、ヒーリング前の予想重量より1キロほど軽い。先生はこれまで何千件という手術を手がけた人。だから最初の予想も正しかったはず・・てことは? 二日目は2時半から歩行練習。頭がグルグルしている。立つのも初めてだ。しかし、歩けた!月に一歩を記したバズ・オルドリンではないが「人類の偉大な一歩」!のつもりだったのに・・見ていた母によるとかなり悲痛だったようだ。看護婦さんもつえがわりの点滴スタンドを持つ手に「力はいってますねー」と笑っていた。母は泣きそうな顔をしてそのまま帰ってしまった。ショックを与えてゴメン。夕食を食べた後、部屋でひたすら歩いた。なぜか頭の中に流れるのは、フレディ・マーキュリーの「SHOW MUST GO ON」。バスケ部時代、夏合宿ではかなりきついトレーニングをしたが、あれはコーチとかがああしろ、こうしろ、って言ってくれるので頑張るしかない。しかし、一人の訓練はツライ。腹の傷、マジで痛いし。血液を外に出すためのお腹の管がどうにも気持ち悪い。が、結局私は、朝までほとんど歩いていた。だって、いらないものが取れたんだもの。子宮は無事に残ったのだもの。後は私が元気になるだけだもの・・と心の中で繰り返す。 その甲斐あってか、3日目はぜーんぜーんラク。思い切って階段昇降に挑戦する。食事もだんだん人間らしくなってきた。半分まではおいしくいただいたが、残りは「仕事」だと思って食べる。食べることが辛いという感情は生まれて初めてだ。 4日目。お腹の管を抜いてもらうと、がぜんラクになる。元気をグラフに表したらV字曲線だろう。そんな私を見て、看護婦さんが来週手術をする人と話して下さい、と言われる。部屋に飾られてる摘出物を見ながら説明するとビックリしていた。四名と話していたら、母と従姉妹が見舞いに来た。やはりブツにはびっくり。その後、友人二人も見舞いに。看護婦さんに隠れて差し入れのプリンを食べる。今日はほとんど歩けなかったのでちょっと不満だった。 5日目。みんなで寿司を食べる。先生も一緒。人間は生物だからナマモノを食べるのが適している・・などという話を聞く。そのままケーキとメロンで「お茶会」に。台湾出身のTさんは「果物は体を冷やすから」とメロンを残したが、私は構わず食う。夕食も完食!差し入れのチーズケーキも食う!今日は食事が苦痛でない。 6日目、退院の日。荷物は宅配便で送り、電車で帰宅。「ご心配おかけしましたが」メールを打ちまくる。 こうして半年に及んだ「筋腫闘病」は終わった。 ここから学んだのは、何はなくとも「精神力」ということ。まずは自分と向き合う勇気。冷静に病状を把握し、受け止められること。病状が重篤なほど逃げたくなるものだ。第二に自分と闘う力。リハビリはホント、つらい。つらいと思わない人、アナタは偉すぎる。私は凡人だからつらかった。それから「判断力」。これをやったらよい、この病院がいい、とアリガタ迷惑な情報が集まってくることは想像に難くない。本やネットにも情報があふれている。その中から自分にあった治療法を選び、そしてその判断の責任は自分が負う。そんな覚悟が必要だ。 次に必要なのは(残念ながら)「経済力」だ。思うような治療を受けるためにはかなりの出費が伴うこともある。また、退院後には思うように仕事ができない可能性もある。私のようなフリーランスの場合、一ヶ月無収入、ということも考えられる。 引用したHPの作者からのメールには「民間療法的なものには効果はありません」とあった。横森理香の「愛しの筋腫ちゃん」は手術を拒否した著者が様々民間療法にトライする内容だが、この裏側にあるのは大病院の医療に対する不信感だ。それプラス、民間療法には「楽しい」「気持ちいい」「面白い」ものが多いからだろう。手術が好きと言う人は、まずいないと思うし、いたとしたら変わった趣向の持ち主であろう。横森氏の筋腫は全く小さくなっていないそうだが、出産に成功しているようだ。彼女はラッキーだったと思う。だからといってみんながそのマネをすることは、私からは勧められない。「愛しの・・」に登場する漢方医は、西洋医学(手術)と民間療法をミックスするのがベストだと語る。私も同意見だ。私が小松先生の所に通おうと決心したのは、先生から渡された紙に「ヒーリングだけで一般的な医療行為を拒否することはやめてください」の意の文章があったことも大きい。ヒーリングと手術を組み合わせたことで、この巨大筋腫と縁が切れたのではないか、と信じている。
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効果の無かった場合

ここでは特徴的なケースを紹介します。心に思う事は、実際に形になり現れるという事の例です、心と身体はコインの裏表などではなく「色心不二」一つのものだということです。

<女性>
10年以上リュウマチで苦しみほとんど寝たきりの状態の女性がいました、最初に其の人を霊視すると胸を中心に黒いオーラが出ていて身体全体はアズキ色のオーラに包まれていました。 其の女性はヒーリングを受けながら「他の人には効いたかもしれないけど、私は絶対治らない」と何度も繰り返し言い自分で結論をだしているのです。また日常生活がいかに苦痛に満ちたものかうわ言のように繰り返すのです。私は何とか回復してもらおうと、全身全霊でヒーリングしているのですが治癒効果はなく「心に思う事が形に現れる、原因と結果の法則道理」だなと思いました。 この人は心で毒を食べ続けているのです。実にお気の毒だと思います。私の前にも遠隔気功、イギリスのヒーラー協会員などの施術を受けた事があるようでしたがやはり効果はなかったようです。
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